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学長 北澤 晃の「つくり、つくりかえ、つくる」

▼オープンキャンパスでたくさんの高校生が大学に集まってきました。オープニングのあいさつで、「今一番、気になっていることは」と切り出した後に続けた言葉で、参加者の間に少し弛んだ空気が流れました。気になっていることが、「ポケモンGO」だったからです。ポケモンGOは昨日から、日本でも配信されました。「すでに、ダウンロードした人?」と尋ねると、2割ほどの皆さんが手をあげました。おそらく、もっとたくさんの人が入手していることでしょう。これだけ、海外でも話題になっているのですから無理もありませんし、私も大いに興味があります。

▼ポケモンGOの目標は、「いろいろな場所を歩き、探索して、多くのポケモンを見つけ出し、ポケモン図鑑を完成させる」ということです。この目標は何て魅力的なのでしょう。「いろいろな場所を歩き、探索して、多くの(◆◆◆◆)を見つけ出し、(◆◆◆◆)図鑑を完成させる」。このカッコの中に、あなたの人生のキーワードが入るのだとしたら、なんて素敵なことだろうかと思います。しかし、ポケモンやアイテムをどんなに見つけ出しても、あなたの現実の『未来図鑑』の足しにはなりません。

▼先行配信された海外では不注意による事故や不法侵入のなどの問題が相次いており、日本でも同様のトラブルやさらに根深い社会問題を引き起こすことも危惧されます。予測される事態に対して勉学の場である学校は、ユーモアを交えて貼り紙をしたことが話題になっています。

「電子禁漁区  

校内のポケモンは保護されています  

密猟者は停学  

学科長」

このように大らかにこの事態に対応できているうちはいいでしょうが、これから先、よくよく考えてみなければならない社会現象が蔓延していくことにもなるのではないかという胸騒ぎがします。いいえ、これから蔓延するのではなく、すでに蔓延している社会現象が、ポケモンGOによって可視化されるということかも知れません。

▼「世にも奇妙な物語」

端末を持った人々が、同じ目的意識を持ち世界をアクティブに動き回っています。そして、ポケモンGOに熱狂する自由を謳歌しているのです。同じ目的意識を共有する人々はポケモントレーナーと呼ばれます。この連帯感は、これまでの人間社会に見られた孤立の風景を変えていくのです。しかし、ポケモンGOには実は、ポケモントレーナーの集団心理を操る別のゲームプレーヤーが存在するのです。このポケモンGOを利用した別のゲームの目的は、「大量のポケモントレーナーを誕生させ、扇動し、翻弄し、自由自在の社会をつくり出す」ことです。このゲームの中で、最先端の遊びを謳歌していると思い込んでいるポケモントレーナーを自在に操作するプレーヤの目には、同調的な集団心理の中に落ちてしまっている群衆が映っているのです。

このポケモントレーナーを操作するプレーヤーは、実はAI(人工知能)であっても不思議でないという「世にも奇妙な物語」です。

▼プロジェクト幼児教育法はテーマ型或いはトピック方式とも呼ばれ、西欧先進諸国が力を入れている21世紀の幼児教育法です。「生きる力」を育むカリキュラムであり、日本の現状の教育を転換していく上でとても参考になるものと思います。この方法の根幹にあるのは、「世界への関心を広げ、たくさん考え、自分で答えを出す」という子どもの主体的な学びの姿です。

▼具体的には「①なんだろう?(方向付け)」「②みてみよう!(見本を見せる)」「③どうしてそうなるの?(理解を広げる)」「④もっと知りたいな!(理解を深める)」という段階をつないで学んでいくのです。その「つなぐ力」を「生きる力」として子どもの内に育んでいくことになります。

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▼本学が、書く力として「①起②承③転④結」の段落をつなぐ力、つまりポジティヴな文脈力を「つくりかえ作文」によってトレーニングする理由にも通じます。その「つなぐ力」が「世界への関心を広げ、たくさん考え、自分で答えを出す」という子どもの主体的な学びのサイクルの延長として、私たちの「今-ここ」に生きているでしょうか。

▼様々な世界への関心を広げ、「つくり、つくりかえ、つくる」というひたすらな姿は、実は幼児期の学びの姿によく表れており、むしろ、私たちはその在りようを忘れているようにも思います。子どものその姿には、「今-ここ」が凝縮しており、生きることに散漫な私自身の時間の流れの中を、いつも駆け抜けていくのです。

ジェフ・フォン・カルク,辻井正 共編著 『小学校との連携 プロジェクト幼児教育法』 オクターブ 2013

▼ブログ101で『「私の物語」と「世界の物語」』という題で、東日本大震災に関わって書いたことがあります。「『世界の物語』と言っても、その生活世界をどうとらえるかというフレームの持ち方によって、さまざまな『世界の物語』が私たちの前にひらかれていきます」。

▼アメリカのオバマ大統領は5月27日、広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花しました。現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪問し、原爆投下国として、広島と長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者に哀悼の意を示しました。いろいろな見方があると思いますが、「なぜ私たちは、ここ、広島に来たのでしょうか?」の問いかけに始まるオバマ氏のスピーチで振り返る物語、そして、未来の選択へとつながる物語の展開には意味があると思っています。オバマ大統領は、次のように物語の力によって自身の語りを展開しています。

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『月明り』 Akira Kitazawa

「私たちは学び、選ぶことができます。人類が共通の存在であることを描き、戦争をより遠いものにし、残虐な行為は受け入れられがたいような、異なる物語を私たちは子どもたちに伝えることができます。私たちはこうした物語を被爆者の中にみることができます。原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜなら、彼女が本当に憎いのは戦争そのものだと分かっていたからです。ここで殺された米国人たちの家族を捜し出した男性がいました。なぜなら、彼は彼らの喪失は自分たちの喪失と等しいと信じていたからです。私の国の物語はシンプルな言葉から始まりました。『すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求のために奪われることのない権利を創造者から授けられた』。そして、その理想を実現するのは、たとえ私たちの国内であっても、決して簡単なことではありませんでした。しかし、その物語へ忠実であり続けることは、努力に値することです」。そして、彼は「それが、私たちが広島に来た理由です」と述べています。

▼私たち個々人の「物語」が世界の道徳心の目覚めとなる「物語」の夜明けとなるように、未来を選んでいくことです。簡単でない故に、人類の物語は悲劇を繰り返してきました。

▼AI(人工知能)とロボットの発達により10~20年後に消える仕事・残る仕事を予測する論文が発表されています。(論文『雇用の未来』,マイケル・A・オズボーン、オックスフォード大学准教授等)

あなたが、将来の自分に対して思い描く仕事はどうなるでしょうか。

▼【消える仕事】と【残る仕事】の予測は以下の通りです。

【消える仕事】

電話販売員(テレマーケター)、物品の販売員、レストランやラウンジ、コーヒーショップの店員、レジ係、保険引き受け時の審査担当、保険金申請時の審査担当、自動車保険鑑定人、クレジットアナリスト、クレジットカードの承認調査を行う作業員、不動産登記の審査・調査や税務申告代行者、不動産ブローカー、銀行の窓口係、融資担当者、証券会社の一般事務員、簿記・会計・監査担当者、コンピュータを使ったデータ収集・加工・分析、データ入力作業員、文書整理係、受注係、調達係、荷物の発送・受け取り・物流管理係、貨物取扱係、電話オペレーター、車両を使う配達員、図書館司書の補助員、スポーツ審判員、モデル、手縫いの仕立て屋、時計修理工、フィルム写真の現像技術者、映写技師など

【残る仕事】

整備・設備・修理の現場監督者、危険管理責任者、内科医、外科医、看護師、歯科技工士、メンタルヘルス・医療ソーシャルワーカー、臨床心理士、カウンセラー、聴覚訓練士、作業療法士、聖職者、消防・防災の現場監督者、警察・刑事の現場監督者、宿泊施設の支配人、セールスエンジニア、心理学者、教師、保育士、栄養士、教育コーディネーター、職業カウンセラー、衣服のパターンナー、メークアップアーティスト、人事マネージャー、コンピューターシステムアナリスト、博物館・美術館学芸員、運動競技指導者、森林管理者など

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・『コラージュパズル』 Akira Kitazawa

▼脳はいつも、無意識にでも働いています。右脳と左脳が違う役割を担っているという理論を「脳機能の局在論」と言います。そして、右脳は創造性や芸術的思考、左脳は言語や論理的思考を担っていると考えます。この理論を踏まえて上記の仕事を見ていると、これからの人間は右脳と左脳をバランスよく働かせることの必要性を感じずにはいられません。さらには、左脳的思考に偏りがちな昨今の社会状況を見直し、右脳の働きを充実させることが大切です。未来において一人ひとりが、夢や目標の実現に向けて、自らの人生を切り拓き、他者と助け合いながら、幸せな暮らしを営んでいける力をつけることが、今、問われているように感じます。

▼「芸術的思考」と言うと何か、芸術家と言われるような特別な人の能力と思いがちですが、「芸術的思考」とは「新しいものを生み出す力」のことであり、私たちは精一杯、今を生き、明日につなぐなかで、誰もが働かせている人間としての根っこにある力です。あなたのなかにあるその力を確認し発揮してください。

有賀三夏 『本当はすごい"自分"に気づく女子大生に超人気の美術の授業』 藝術学舎 2015

(第20回入学式 式辞から抜粋)

▼学校法人浦山学園は、今年度創立50周年を迎えます。また、富山福祉短期大学は開学20周年という節目を迎えることになります。そうした節目において、本学では昨年度、本学の所在地となる射水市をはじめ、いくつかの自治体と包括的な協定を結びました。これを機に、地方創生や少子高齢化などの地域課題に対応した行動を起こせる知の拠点として根を張っていきたいと思っています。そのためにも、皆さんには福祉・医療・保育・教育の分野での学問の道に励み、建学の精神にあるように「社会に貢献できる人」として学び続ける資質を養っていただきたいと思います。

▼本学は、昨年度、文科省の進める「私立大学等総合改革支援事業」のうち、「教育の質的転換」と「地域発展」の二部門において、一定以上の水準を満たしている大学としての選定を受けることが出来ました。それに伴い、皆さんの学び方をより一層主体性のあるものに転換していくために、アクティブ・ラーニングの手法を積極的に取り入れた学習場面を構築していくことを28年度の重点課題の一つとしています。

アクティブ・ラーニングとは、具体的には、自ら発見する学習、問題を解決する学習、体験を通す学習、グループでディスカッションする学習などを指します。皆さんも小学校・中学校・高等学校で取り組んできたものと思います。大学生となった皆さんは、自分自身が学びの主役であるという自覚をいっそう深め、本学の教育目標である「つくり、つくりかえ、つくる」を実践することが求められるのです。

アクティブ・ラーニングをつくり、つくりかえ、つくる。そのようにアクティブな学びを主体的につなぐために、本学では「書く」という活動を重視します。やりっ放しにせず、学習活動の意味の連なりをつくるうえで、「書く」という行為は極めて重要です。

▼本学の図書館には、平成20年度看護学科を設置した際に、たくさんの闘病記が蔵書されました。本学にも御縁のある門林道子さんは、『生きる力の源に』という闘病記の社会学研究書の中で、「闘病記を書くという能動的な社会的行為は、著者がそれまでの自分を受容しつつ、それまでとは違った解釈で意味を捉え直し、「新たなる自分」を生み出すことにつながる」と述べています。これは、まさに「つくり、つくりかえ、つくる」論理と同じであり、かけがえのない自己を生きる探求の連なりの物語であると言えます。闘病記を書かれる方々は、命の期限を感じながら、この命の連なりの物語を生きています。

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・『満開の桜の大木』(屏風仕立て)

▼若い皆さんには限りない未来が広がっているように感じられますが、卒業までの2年、あるいは3年を明確な期限として目標設定し、自身の学び・生きるということの連なりを、その目標に応じてつくりかえていってください。そうすることで、期限の先の新たな未来は、みなさんの手に握られると思います。期限を定めて実現する。若いからこそ、意識してください。

・(後略)

(第18回 卒業証書・学位授与式 式辞より抜粋)

▼私は、本学のHPに、ブログを掲載しています。読んでいただいたことはあるでしょうか。幸せなことに、いつの間にかブログは202回を数えました。そして、そのブログの第1回は谷川俊太郎さんの「生きる」の詩を紹介しています。

「生きる / いま生きているということ / それはのどがかわくということ /

木漏れ日がまぶしいということ / ふっと或るメロディを思い出すということ・・・」で始まる詩です。

その後もブログを辿ってみると、第68回では、5年前の東日本大震災に大きな衝撃を受けている私がいます。その後、私自身、大病を患い、あたりまえのように出来たことが出来ずに難儀していますが、有難いことに今、ここに至っています。皆さんも、この機会に自分の物語の記録を振り返ってみてください。

▼さて、この式辞は、実は何度も書き直しました。私自身が、自分の命を伴う真心で、皆さんにお伝えできることは、本当に限られていると感じています。「楽しいニュース」というSNSで配信された記事に「日本人なのに『ありがとう』の意味を知らなかった」という掲示が出ました。この式の最後にも歌う校歌にも、

「輝く未知へと 立ち行く日 / ありがとう・・・・  / 心の郷(ふるさと) 我が母校」

とあります。その「ありがとう」の意味。

皆さんにお尋ねします。「ありがとう」の反対語は何でしょうか・・・・・。

これから紹介する文章は、それを問いかけるものです。皆さんへの贐の言葉として、朗読したいと思います。

▼ありがとうの反対語など、今まで考えたこともなかった。

教えてもらった答えは・・・

「あたりまえ」

「ありがとう」は漢字で書くと、有ることが難しいと書く。(めったにないこと。)

すなわち、奇跡ということだ。

奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」。

我々は、毎日起きる出来事を当たり前だと思って過ごしている。

歩けるのが当たり前。目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。

毎朝、目が覚めるのが、あたりまえ。食事ができるのがあたりまえ。

友達といつも会えるのが、あたりまえ。うまれてきたのが、あたりまえ。太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。

夫が、妻が、子どもが、毎日帰ってくるのが、あたりまえ。そして・・・生きているのが、あたりまえ。

また、ある夫婦の話もしてくれました。

晩酌の時、いつも無口な夫が、「ちょっと、お酌してくれないか?」と珍しく妻に言った。台所の片付けをしていた妻は、「今、忙しいから自分でやって」と答えた。夫は少し寂しそうだったが、手酌で酒をついだ。

その2~3時間後、夫は急に倒れ、救急車で病院に運ばれ、帰らぬ人になった。それから、妻は、何故あの時、夫にお酌をしてあげなかったのかと、ずっと悔んだという。あの時、何故、もっと、優しい言葉で、こぼれるような笑顔で、感謝の言葉で、接することができなかったのか・・・

誰しも、今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。

今日、誰かと出逢い、話し、笑い、食事をして、仕事ができる。

こんな当たり前だと思うことが、本当は奇跡の連続なのだ。

「有ること難し」(有り難し)・・・・・有難う

生きて、出逢う、という奇跡の連続に、「ありがとう」を言わずにいられない。

というものです。

▼「つくり、つくりかえ、つくる」

私たちが合言葉としてきたこの言葉もまた、実は、私たちのかけがえのない奇跡の連続を意味しています。卒業という今日の日まで繰り返されてきた皆さんの「つくり、つくりかえ、つくる」という奇跡の積み重ねの物語。その物語の栞として「ありがとう」を贈ります。・・・・・ありがとう・・・

卒業を迎えた今日の良き日に、皆さんの口から「ありがとう」が溢れ、また、あたりまえのように明日が巡ってくることを心より祈ります。

「つくり、つくりかえ、つくる」

今日の「ありがとう」が、明日の「ありがとう」をつくっていくのです。

(後略)

▼本学独自に実施した平成27年度学生生活実態調査の集計結果が出ました。アンケート項目は、Q1~Q60に渡り、実に多様な生活上の実態を学生の皆さんに尋ねる内容となっています。私は、まず、このブログの主眼である「書くことに」に関わる実態がどのようなのか大変、気になりました。

▼Q50「入学後、能力や知識の変化(向上)具合」として、⑧文章(レポートなど)を書く力について聞いています。本学すべての学科を合わせた学内全体の結果は、以下の通りでした。(回答数357名)

  • 5 大きく増えた     63名    17.6%  
  • 4 増えた        199名    55.7%
  • 3 変わっていない    84名    23.5% 
  • 2 減った          2名     0.6%
  • 1 大きく減った       2名     0.6%
  • 無回答            7名     2.0%

▼この数字をどのように分析、考察するかは、他の項目との比較、関連付け等を丁寧に行ってみないと分かりませんが、本学の教育の未来に向けて、よさや可能性を十分に秘めた数字だと思っています。しかし、私と言えば、このブログから学術論文に至るまで、日常の書く意欲の低下は否めないので、もしアンケートに答えるならば、【1 大きく減った】を選択せざるを得ないと思っています。意欲も能力なのです。

▼今、私のところには、在学生の週フォリオ(「つくりかえ作文」)の一部が提出されています。書かれている文章の行間には、その時々の<自己>が立ち表れ、個々の学生が生きてきた痕跡をたどることができます。それらに触れながら、改めて書くことの意義を考えています。私自身、長期入院・療養を経て、書くことが滞る生活のなか、<自己>喪失の感覚の渦から、自己を取り戻していきたいと感じています。

▼臨床美術のセッションを体験された方から、さまざまな質問を受けます。セッションにおいては、それぞれの参加者の生活感情やさらには人生が背後にあり、いろいろな意味ー出来事が生じます。その出来事に関わる質問に対して臨床美術士は誠意を持って丁寧にお答えすることは大切です。そう思うからこそ、臨床美術士はその質問にどう答えたらよかったのだろうと悩みを抱えてしまいます。しかし、その質問に対する答えは「私は、こう信じている」ということでしかないと思います。そして、答えはどうであれ、私は臨床美術士が臨床美術の力を信じているという世界を立ち現わしていることが何より大切だと思うのです。臨床美術士として、臨床美術の場で引き寄せる個々の「私」が、確かに未来につながっていく可能性を、あなたは本当に信じていますか?私は信じています。ですから、どのような質問を受けても、務めて動揺せず揺るがない。質問を受けた時は試されていると思っています。これは、思い上がりではなく、むしろ、「祈り」にも似た思いです。

▼思い通りにならず制作を投げ出した子のお母さんが、「今日の臨床美術で、どう対応すればよかったのでしょうか」と相談されたとします。そのことに対して、真剣に考えます。でも、その「考える」は、次はどうなるだろうかという可能性とそれを引き出し得る方法です。その時、そもそも、今日の意味ー出来事の捉えは、今感じている通りのままでよいのだろうかという捉え直しが生じます。なぜなら、過去の出来事の意味の捉えを変えることが未来の可能性を開くことになるからです。言い換えると、今日の出来事のネガティブな意味の捉えを変えることで、未来につながるポジティブな意味へとシフトしていくのです。今日の2時間のセッションの1秒先の意味世界は、この捉え方に大きく左右されるのであり、新しい物語を開いていく可能性に働きかけていきます。そういう思いを臨床美術士が持ち続けている限り、その意味生成の場には希望が残り、「失敗」や「やり直し」という言葉など馴染まない場へと変わっていくことでしょう。そのような場がはじめからあるわけではありません。

▼思い通りにならずパニックになる子もいます。それが、なぜいけないのかと問い直してみる。作品は褒めるのに、パニックという状況を悲観的に捉えるのは違うはずです。そのパニック状況をその子は度々、生きていて、その子も親も苦しんでいるのは事実です。でも、パニックになったのは、思いをかけた結果として捉えたなら次回につながり、その子に試してみたいことが出てきます。パニックにならないようにどうするかではなく、その都度のパニックをどう生きるのかという物語にすべきです。そうしているうちに状況をつくりかえていけるのです。ここに『ワクワクうずまき』というプログラムがあります。2つの渦巻きによってできる面に点や線を思い思いの色で加えていくプログラムです。その子とお母さんとで組んで、1つずつ渦巻きを描くことをきっかけにしたら、その子はどうするでしょうか。分かりません。そして、もしお父さんもいらしたなら、「今度はお父さんと組んでやってみましょう」とあえて2作品目の新たな展開を加えてみたらどうでしょう。それは、「やり直し」の制作とは違うはずです。そうした試みの先に、笑顔で作品を持ち帰る子の姿を信じる限り、必ずその日はやってくると信じています。

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▼間違いなく容易なことではありません。でも、この「信じる」ことが、臨床美術士の「自信」であり、状況を変え得る臨床美術士の道(役割)なのだと思っています。そして、自分がその子になり切れるまで関わること、それがケアの本質だと思いながら、簡単なことではないと改めて思います。でも、そうあり得ると信じています。

▼今年も残すところ僅かとなりました。このブログも200号の大きな節目となり、明日(新年)を迎えられることに感謝の思いをしみじみと抱いています。こうした気持ちは、本来、当然のことで恐らく、昔々のどれくらい昔の人の感情なのかは分かりませんが、ある時代までは人間がしっかりと実感していた感情ではないかと思います。いつの時代からか、平和ぼけと言いますか、危機感と言う言葉の意味さえも、現実味のない場所でくすぶる世の中です。これは、常に命の危機から遠くはなれた場所で安穏としていられるという意味では、幸せなことに間違いありません。

▼そうした暮らしの中で、危機の緊張感と向き合うことは、病という形で、誰の身にも起こり得ます。里見清一氏の著書『医者と患者のコミュニケーション論』に次のような記述があります。

 進行癌の患者さんに、「治らない」ということを、最初の段階で説明した。これについてはかなり明確に、間違いのないように話したはずで、患者も家族もよく理解したと思われる。その証拠に患者も家族も涙ぐんでいた。そして、その上で治療を開始した。ところが、その治療が予想以上に順調に進み、レントゲンやCTでも腫瘍の陰影は著明に縮小し、場合によっては消えたようにも見える。もちろん患者は無症状で、仕事も再開したりしている。(中略)こうなった時に、患者が「治ったつもりになる」のは人情である。一番初めの、家族とともに涙ぐんでいた極度の緊張状態を続けることは、人間には不可能である。気が緩む。(中略)だがもちろん、病気は治っていない。そのうち必ず再燃(悪化)する。それを我々は知っている。しかしそのことを、この平穏な状況の患者と家族に、改めて思い知らせるべきであるのか。「今は良くても、そのうち必ず、また悪くなるのだよ」とダメ押しをすべきなのか。

▼このような医者の葛藤もよく分かります。それでも、多くの患者はどれだけ明るい表情を取り戻しても、この安定が嵐の前の静けさであることを認識しているはずです。心のどこかで、「もしかしたら自分は治るかもしれない」という希望は抱いていることは否定できませんが、この「希望」という抵抗力も、この安定を生む要因でもあるのです。

IMG_1440.JPG『川の流れ』F30

そして、この「寛解」と言われる安定は、自分の身の丈を知り、自分を全うする淀みない流れを引き寄せていくのです。単なる緊張感の緩みとは違う、かけがえのない貴重な時間ではないかと思います。

▼私の母が好きな歌手で国民栄誉賞を受賞した故美空ひばりさんが、体調の悪化と戦いながら歌い、一曲を完唱した最後の曲と言われているこの曲が何気に心に流れてきます。

『川の流れ』  秋元康 作詞 / 見岳章 作曲

知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道

振り返れば 遥か遠く 故郷が見える

でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生

ああ 川の流れのように ゆるやかに いつも時代は過ぎて

ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

『医者と患者のコミュニケーション論』の中で紹介されている、ガンジーの言葉とされる格言が心に残ります。

"Disce ut semper victurus ,vive ut cras moriturus"(永遠に生きるように学べ、明日死ぬかのように生きよ)

里見清一 『医者と患者のコミュニケーション論』 新潮新書 2015

▼九死に一生を得た心持ちで退院して以来、毎月2回外来受診することが習慣化しました。この月2回のある種の特殊イベントは、何があっても仕事を断念しなければならず、自分の<生>にとっての優先順位を確認する貴重な時間となっています。

▼現在の仕事に就くために10年前転職して、長野から富山に来る際に、白い未使用の30号のキャンバスを3枚持ってきました。しかし、この10年間、そのキャンバスに何かを描くことはありませんでした。仕事が忙しいということを言い訳にして、ずっと倉庫に置いてありました。しかし、春に退院してからこの一年間、その3枚は、季節を追ってあっという間に作品になりました。「いつか、時間ができたらやろう」なんて言っていたら、できないまま悔いを残すのが人生だと改めて感じています。

sakura.jpg

・sakura ( F30)

▼車の中で聴く音楽も、その時その時の心持ちで変わります。

 (HANABI  作詞 Kazutoshi Sakurai /作曲 Kazutoshi Sakurai /唄 Mr.Children)

どれくらいの値打ちがあるだろう?

僕が 今 生きてるこの世界

すべてが無意味だって思える

ちょっと疲れてんのかなぁ

手に入れたものと引き換えにして

切り捨てた いくつもの輝き

いちいち憂いていれるほど

平和な世の中じゃないし

一体どんな理想を描いたらいい?

どんな希望を抱き進んだらいい?

答えようもない その問いかけは

日常に葬られていく

君がいたらなんていうかなぁ

「暗い」と茶化して笑うのかなぁ

その柔らかな笑顔に触れて

僕の憂鬱が吹き飛んだらいいのに・・(略)

▼「仕事はどうしているんですか」

「ええ、ほどほどにできています」

主治医の方から、仕事のことを話題にしてくれるのは、たぶん初めて・・

「そうですか。薬効いていますし、順調ですね」

こうして、また、パリの同時多発テロなど、遠い遠い対岸の火事に見て、明日も幸いにして日常の仕事をしているわけなのです。

(せっかく命拾いしているのに、それでいいのかという思いは、HANABIの歌詞の通り、日常に葬られていく・・ということなのでしょうか。)

十年一昔。

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