▼國分康隆氏は、次のように述べています。
人を不幸にする受けとめ方は、つじつまの合わない考え方です。むずかしく言えば「論理性に欠ける文章記述」です。学生が留年して、
「僕は留年した。それゆえに、人生の失敗者である」という文章を心の中につくって悩んでいるとします。ところが、この「それゆえ」というのが曲者で、
「僕は留年した。それゆえに、もう一年大学にいられて友達の数を増やすチャンスだ」
「僕は留年した。それゆえに、同級生が社会人になって苦労しているとき、人生を考える時間ができて、人間として自分を深めるチャンスだ」というように、「それゆえ」のあとにはいろいろな文章が続くはずです。ところがよりによって自分が不幸になる文章を選んで、自分は人生の敗者であると悩む人がけっこういるわけです。
▼学長ブログ27『負のスパイラルから抜け出す方法』で、「クヨクヨ脳の負の感情を抑えて、『もう一人の私』を立ち上げ、クヨクヨ状態を乗り越えよう!」ということを言いましたが、それはリフレーミングによって、どのような文章を選ぶかという問題になるわけです。文章の書き方で、『幸福』を呼び寄せる人と遠ざける人がいるということになります。先ほどの留年した学生の「僕は留年した。それゆえに、人生の失敗者である」という文章には『もう一人の私』の声が聞こえません。ポジティブな思考ができる『もう一人の私』を相談相手にすることもなく、独りぼっちの『私』が決めつけてしまった結論です。
私は、小・中学校の教員を23年務めました。単純に計算して【245日分の日記】×【一クラス35人】×【教員生活23年】=【197,225日分の日記】、つまり約20万日分の日記を読んだと思います。そういうたくさんの日記に出会ってきて、自分の力を発揮して未来を開いていく多くの子どもには、共通の書き方があることに気づきました。その書き方は、本人があまり意識していなくても、『起承転結』の流れになっているのです。ですから、『起承転結』の形になる書き方を訓練することで、『幸福』を引き寄せる「生きる力」は身に付くと思います。私は、本学の学生には、学生のうちに身に付けてしまって欲しいと願っています。『幸福』になって欲しいからです。
▼久保博正氏は、「『いい文章』はわずか4行で書ける」として、ある小学生が書いた「ネコと柿の木」というタイトルの作文を取り上げています。
屋根の上にネコがいました。 ①【起】
どうやって屋根に登ったのでしょう。 ②【承】
ある日、とうとうわかりました。 ③【転】
うらの柿の木から登ったのです。 ④【結】
各々の行がそのまま『起承転結』の形になっているのです。文章が【上手・下手】の問題ではなく、この『起承転結』の文脈力が大事なのです。この文脈力は、『自己物語』の文脈をつくり、つくりかえて、豊かな人生へと導いていく道筋です。
具体的な書き方を私は、以下のように提案します。とらわれ過ぎたり難しく考え過ぎたりはしないようにして、とにかくやっていくことです。
題 『※ 』
①【起】 題『※ 』を決め、とにかく書き始めましょう。【屋根の上にネコがいました。】
②【承】 続けて思うことを書きましょう。 【どうやって屋根に登ったのでしょう。】
③【転】 『もう一人の私』が書きましょう。 【ある日、とうとうわかりました。】
④【結】 まとめましょう。 【うらの柿の木から登ったのです。】
▼約20万日分の日記を読んできて、このような『起承転結』の流れがあり、なおかつ、③【転】の『もう一人の私』によるリフレーミングがポジティブな子どもが伸びていくというのが、教員生活を送ってきた私の実感です。③【ある日、とうとうわかりました。】は、未来を開く魔法の呟きです。そして、『自己物語』のその都度の選択において、どちらでもいいケースは、自分が少しでも『幸福』になれる文章を選ぶ方が得だと考えて下さい。
私は、このブログを、いつも▼印、四つで書いてきました。『起承転結』の形を意識する参考にして欲しいと思って、そうしています。
書きながら、今、思うことは『起承転結』は、単なる「書き方」ではなく、明日を開くための「生き方」だということです。
参考文献:國分康隆,『18歳からの人生デザイン』,図書文化,2009.12.1
久保博正,『たった4行で すらすら書く技術』,すばる舎,2009.3.24


















