(参考書:水野敬也,『夢をかなえるゾウ』,飛鳥新社,2007)
▼『夢をかなえるゾウ』という本を読み、ガネーシャという関西弁をしゃべる神様を知ってしまってから、私の頭の中で関西弁をしゃべるやつがいるのです。ガネーシャです。
そんなわけで、私のtwitterの呟きも、気を付けていないと関西弁になりそうなのです。私は関西に住んだこともなければ、関西弁もしゃべれない。あの本を読んでしまってから、ガネーシャは、私の中の「もう一人の私」になってしまったのです。そして、ついにガネーシャは、目の前に現れました。
▼(アパートの一室)
「暑いなう!」
私は、ベッドの上で眠りから覚めて、3時間おきに勝手に切れてしまうエアコンのリモコンに手を伸ばした。
「なにが、『暑いなう~マンゾウ』やがな。夜中、twitterで呟きすぎちゃうか?」
「ガネーシャ!?」
「そや、ガネーシャやがな。念のため言うんやけど、ワシ、神様やで。最近ちょうしええやんか、自分」
「へ?」
「へ、やないがな。ガネーシャ様登場の学長ブログ34・35連発やがな」
「はい、『夢をかなえるゾウ』を読みましたら、突き動かされまして・・・でも、調子いいのはブログだけです。」
「一つでも、ちょうしええことあったらええやん。そのいじけた言い方、そろそろやめや。一つだけでも、わしに感謝せな。『最後のガネーシャの課題』なんやった?」
「『毎日、感謝する』です」
「そうや、分かってるやん、一応、学長やもんな」
「はい、いちおう・・・」
「アホか。お前、その自虐的な言い方、もうやめや。ええか?ぜんせん足りんのは分かるけど・・・・・・あのな、発展的課題が一つあるねん。知りたい?」
「知りたいです」
「自分、今夜の、わしへのお土産、分かっとるん?」
「・・・・??ああ、はい、分かります」
「ほな、教えたる」
ガネーシャの発展的課題 「足りない分、みんなのために祈る」
▼(福短学長室)
私は、いつものようにパソコンを開いて、メールチェックから仕事に入った。ガネーシャはソファーに腰掛けて、子どものように身体を弾ませていた。連れてきたくはなかったが、アパートに置き去りにして熱中症になってもいけない。
「あり得へんよ、自分」
「どうしてですか?」
「もうじき、8時15分やで。8月6日の8時15分なんやで。」
「はあ?」
「はあ?じゃないがな。今日はどないな日?」
「明日、オープンキャンパスなので準備をします」
「明日じゃないがな。今日、今日、今日、今日・・・・・・やっぱり、悪いけど、学長として足りんがな。自分やっぱり全然分かってへんわ」
「はぁ・・・・・・」
「65年前の8月6日8時15分、広島に原爆が投下されたんやで。広島の平和記念式典には原爆投下国である米国の駐日大使ルースくん、国連事務総長の潘基文くんなんかも参列するんやで。『原爆の日』に核保有国の政府代表と国連トップがそろって被爆地を訪れるのは偶然ちゃうで」
「それはどういうことですか?」
「ワシ神様やし。それくらいやるし。ええか?今日を失って、明日があるか?」
「ありません」
「そやろ。65年前の今日、一瞬にして『明日』を無くした人たちが、広島にはたくさんおるんやで。そういう感覚忘れて、明日、高校生や社会人に何話すん?原爆の話しろ言うてんちゃうで。8時15分になったやん。立てや。起立!犠牲者に追悼の祈りを捧げ、平和への誓いを新たにするんや」
一瞬、ガネーシャが立派な神様に見えた。
▼『夢をかなえるゾウ』の本を読まなければ、私は、今日合掌しなかったと思います。そして、明日、あなたに話をする時、命があることで互いの未来が開き、こうして集っていることに感謝し、更に命ある限り未来が開いていくことを祈る気持ちでお話することはなかったと思います。その感覚を忘れて大勢の人の、たくさんの命の前に立って、話してはいけないのではないかと思いました。
(私は今、スーパーに立ち寄り、エコバックいっぱいにガネーシャへのお土産を買っています。ガネーシャはソファーの弾力に飽き、本棚に飾ってあったリモコン式の小さなヘリコプターが上手く飛ばせずイライラし、結局、先に帰りました。今頃、よだれを拭き拭き、待っているのでしょうか。ガネーシャのツボをおさえるには、あま~いこれが必要なのです。
課題 ガネーシャの大好きな甘い「□□□□」は何か。自分で『夢をかなえるゾウ』を読んで確かめる。)