▼自分にあった『自己物語』を採用すると言っても、私たちは『自己物語』の全体像を描けているわけではありません。はっきりとした目標や夢が描けていれば、そこに向かって直走る『自己物語』を生きることもできますが、そういうことが必ずしも明確でないところを私たちは地道に歩いていかなければなりません。「その都度、選択に迫られて悩みながら判断し、進む。」人生はその繰り返しですが、過去におけるあなたの選択、今、この場のあなたの選択、未来において予測されるあなたの選択などを通過点としてつなげば「線」になり、自分の歩く道の方向性(物語)は見えてきます。その都度の選択に意味のつながりを欠く時、「バラバラな私」などと形容される不安状態に陥ることにもなるのです。
▼さて、ここで大切なことは「選択が複数の視点から見てなされる」ということです。複数の視点から見てなされる選択が、『自己物語』の意味を深めていくことになります。「複数の視点から見る(リフレーミング)能力」について、國分康孝,『18歳からの人生デザイン』,図書文化社,2009.12.1 に次のように書かれています。
「『リフレーミング』というのは、「ものは考えよう」といったような意味です。同じことでも、違う観点から見れば違う意味があるということです。例えば、ウィスキーのボトルにウィスキーが半分入っている状態を見て、「もう半分しかないのか」というのも正しいですが、「まだ半分あるじゃないか」というのも正しいわけです。物理的な現象は一つなのに、「もう半分」というのと「まだ半分」というのでは、意味の受け取り方に差があります。そのように、一つの事象に複数の意味づけをできる人が、リフレーミングできる人と言われます。」
▼リフレーミングするためには、自分のなかに視点の違う『もう一人の私』を立ち上げなければなりません。「ものは考えよう」ですが、『もう一人の私』が安易にものを考える存在であれば、それに応じ、意味に深みのない自己物語がだらだらと流れ出します。人生の意味に深みをもたらすためには、「私」は『もう一人の私』と常に注意深く対話しながら、自己物語のその都度の意味を選択していかなければなりません。
▼つまり、『もう一人の私』とは、「私」の心に住みついている相談相手です。
あるときは母の声であり、父の声であり、
あるときは友人の声であり、先生の声であり、
あるときは、過去の「私」の声であり、未来の「私」の声であり、
あるときは、天の声であり、木立の声であり、
そして、あるときは書物の声であり、
「私」のなかの多種、多様な「他者」の声なのです。
『内なる他者』と記述する心理学者もいます。


















