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2010年6月

富山県内の高等学校よりPTAの皆様と先生方が本学へ見学来校されました。

 

□平成22624日(木)富山県立富山西高等学校(10名)

□平成22625日(金)富山県立上市高等学校(14名)

□平成22625日(金)富山県立小矢部園芸高等学校(9名)

 

本学では、校舎見学ならびに「本学の概要」「入学選考」「大学・短大・専門学校の違い」などの説明をさせていただきました。

説明会では、みなさん熱心にメモをとりながら話を聞いていただきました。

 

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【参加者からいただいた感想を一部紹介】

・前の道路を通ることはあってもどんな学校かわかりませんでしたが、開けた明るい印象でした。目標をもって学びたい人たちが学べる環境であってほしいです。

 

 

本学では、随時高校からの見学会やPTAの方々の来訪をお待ちしております。

同じ学校法人浦山学園 富山情報ビジネス専門学校と本学の両方を見学をしていただくことも可能です。是非、一度お越しください。お待ちしております。

 

▼書くことの重要性が分かっていただけたでしょうか。実際に紙に書かなくても、『起承転結』の形で書くように考えることが必要です。そのために、富山福祉短期大学の学生には、『週フォリオ』(つくりかえ作文技法)に取り組んでもらっています。この取り組みに意味がないという学生もいますが、そういう学生は、年間に5枚程度しか書かないのです。自発的に20~30枚書く行動を起こせば、何かが変わっていきます。

 

▼國分康隆氏は、『18歳からの人生デザイン』「自分が動けば幸福はくる」のなかに、次のように書いています。

不幸を嘆く人というのは(不幸とは、私の定義では欲求が充足されていない状況ですが)、どうすれば少しでも快適な状況に移れるかを考えない人。そして動かない人です。私がアメリカにいるときの経験ですが、なかなか職がないと言って落ち込んでいる人に、教授が「電話帳を見て、順繰りに、かたっぱしから電話しろ」と言いました。そうすると次の週、本人は「職が決まりました」と言ってきました。八方塞がりだと思っていた人も、「かたっぱしから電話をかける」というアクションを起こした瞬間から、問題が解けていったわけです。だいたい不幸を嘆く人というのは不精者が多いのではないでしょうか。月謝を出さずに教えて欲しいとか、入場料を出さずに映画を見せてほしいというのに似ている気がします。仏教の言葉で「精進する」という言葉がありますが、自分が何かしないと幸福はやってこないものです。ですから、自己中心的な人はだれかがやってくれるだろうと考え、自分から動かないから、不幸感からなかなか抜け出せないのです。

1.自分の願望は現実的であるか。実現可能か。

2.自分には簡単に不幸だと言ってしまう傾向はないか。実は不幸なのではなくて、不便なだけであり、快適でないだけではないだろうか。

3.自分は動いているか。人が何とかしてくれるのを待っているだけなのではないか。

 

▼長文の引用になりましたが、この三つの自問が私にも必要だなあとつくづく思い、「自分の願望(目標)」の実現に向けて、アクションを起こしたい考えました。私は、この学長ブログに書いてきたことを富山福祉短期大学で学ぶ学生が実践していくにはどうしたらよいかと考えています。そして、本学の『教育理念』の実現に向けて『つくり、つくかえ、つくる』が実践される富山福祉短期大学にするにはどうしたらよいか、ただ、考えているだけでなく、何らかのアクションを起こさなければなりません。

そこで、私は、私の考える『つくり、つくりかえ、つくる』にも深く関わりのあることが書かれている『社会人のための「本当の自分づくり」』の著者である榎本博明教授に行き会いたいと思いました。本学に来て頂き、まず私たち教職員に講演をしていただきたいと思いました。直接に連絡をとる方法がありませんでしたので、榎本先生が勤めていらっしゃる名城大学の事務局宛てに「小さな研究会ですがご講演をいただきたい」という旨のメールをし、事務局から榎本先生に転送していただくことにしました。しばらくして、榎本先生から快く引き受けて頂ける旨のメールが私のところに返ってきました。もしかしたら、私のメールの勢いで断れなかったかも知れませんが。

 

▼偶然つかんでいるように思える「未来」も、実は、自分でつくり出しているのです。偶然の出来事させ、『自己物語』の文脈にどう位置付けるかは自分次第です。二ヶ月後には、榎本先生の『(仮題)高校生・短大生の自分づくり 自己物語の心理学』という講演が聴けると思います。少なくとも、その時に、私はこの学長ブログでまた何かを語り、次の私の『自己物語』の文脈へと自分を位置付けていくことになります。それが、私にとっての『つくり、つくりかえ、つくる』です。だから、もう書けることがなくなってきてしまったように感じる日々を抜け出して、また私は、あなたに『何か』を伝えることができると思います。

 

(『学長ブログ30』を達成したので『私』宣言の通り小冊子にします。また、私のブログには、いろいろな書物からの引用があります。書物は、『他者』です。その『他者』が私の文脈に組み込まれ、『もう一人の私』となって生きています。引用させて頂いた著作者の方々の『内なる支え』に感謝します。)

 

 

 

 

 

▼國分康隆氏は、次のように述べています。

 

人を不幸にする受けとめ方は、つじつまの合わない考え方です。むずかしく言えば「論理性に欠ける文章記述」です。学生が留年して、

「僕は留年した。それゆえに、人生の失敗者である」という文章を心の中につくって悩んでいるとします。ところが、この「それゆえ」というのが曲者で、

「僕は留年した。それゆえに、もう一年大学にいられて友達の数を増やすチャンスだ」

「僕は留年した。それゆえに、同級生が社会人になって苦労しているとき、人生を考える時間ができて、人間として自分を深めるチャンスだ」というように、「それゆえ」のあとにはいろいろな文章が続くはずです。ところがよりによって自分が不幸になる文章を選んで、自分は人生の敗者であると悩む人がけっこういるわけです。 

 

▼学長ブログ27『負のスパイラルから抜け出す方法』で、「クヨクヨ脳の負の感情を抑えて、『もう一人の私』を立ち上げ、クヨクヨ状態を乗り越えよう!」ということを言いましたが、それはリフレーミングによって、どのような文章を選ぶかという問題になるわけです。文章の書き方で、『幸福』を呼び寄せる人と遠ざける人がいるということになります。先ほどの留年した学生の「僕は留年した。それゆえに、人生の失敗者である」という文章には『もう一人の私』の声が聞こえません。ポジティブな思考ができる『もう一人の私』を相談相手にすることもなく、独りぼっちの『私』が決めつけてしまった結論です。

私は、小・中学校の教員を23年務めました。単純に計算して【245日分の日記】×【一クラス35人】×【教員生活23年】=【197,225日分の日記】、つまり約20万日分の日記を読んだと思います。そういうたくさんの日記に出会ってきて、自分の力を発揮して未来を開いていく多くの子どもには、共通の書き方があることに気づきました。その書き方は、本人があまり意識していなくても、『起承転結』の流れになっているのです。ですから、『起承転結』の形になる書き方を訓練することで、『幸福』を引き寄せる「生きる力」は身に付くと思います。私は、本学の学生には、学生のうちに身に付けてしまって欲しいと願っています。『幸福』になって欲しいからです。

 

▼久保博正氏は、「『いい文章』はわずか4行で書ける」として、ある小学生が書いた「ネコと柿の木」というタイトルの作文を取り上げています。

 

屋根の上にネコがいました。       ①【起】

どうやって屋根に登ったのでしょう。   ②【承】

ある日、とうとうわかりました。      ③【転】

うらの柿の木から登ったのです。     ④【結】

 

各々の行がそのまま『起承転結』の形になっているのです。文章が【上手・下手】の問題ではなく、この『起承転結』の文脈力が大事なのです。この文脈力は、『自己物語』の文脈をつくり、つくりかえて、豊かな人生へと導いていく道筋です。

具体的な書き方を私は、以下のように提案します。とらわれ過ぎたり難しく考え過ぎたりはしないようにして、とにかくやっていくことです。

 

   題 『※            』

①【起】  題『※   』を決め、とにかく書き始めましょう。【屋根の上にネコがいました。】  

②【承】 続けて思うことを書きましょう。        【どうやって屋根に登ったのでしょう。】

③【転】 『もう一人の私』が書きましょう。       【ある日、とうとうわかりました。】     

④【結】 まとめましょう。                 【うらの柿の木から登ったのです。】

 

▼約20万日分の日記を読んできて、このような『起承転結』の流れがあり、なおかつ、③【転】の『もう一人の私』によるリフレーミングがポジティブな子どもが伸びていくというのが、教員生活を送ってきた私の実感です。③【ある日、とうとうわかりました。】は、未来を開く魔法の呟きです。そして、『自己物語』のその都度の選択において、どちらでもいいケースは、自分が少しでも『幸福』になれる文章を選ぶ方が得だと考えて下さい。

私は、このブログを、いつも▼印、四つで書いてきました。『起承転結』の形を意識する参考にして欲しいと思って、そうしています。

書きながら、今、思うことは『起承転結』は、単なる「書き方」ではなく、明日を開くための「生き方」だということです。

 

参考文献:國分康隆,『18歳からの人生デザイン』,図書文化,2009.12.1

       久保博正,『たった4行で すらすら書く技術』,すばる舎,2009.3.24 

▼目標にしていた学長ブログ30まで、もう一息のところまで来ました。「あなたに」という投げかけに応じて読み続けてくれた人には、心からお礼を言いたいと思います。学長ブログ27では、「いつまでもクヨクヨしない方がいいよ」と、あなたに伝えたつもりです。さて、ブログの読み手である「あなた」とはいったい誰だったのでしょうか?「あなた」は特定の一人ではありませんでした。その中の一人であると確実に言えるのは、実はこの私自身です。クヨクヨするのは私なので、「クヨクヨしない方がいい」と私自身に呼びかける必要がいつもあるのです。今まで書いてきたことの全てが、『私』という書き手が「あなた」と呼びかける『もうひとりの私』を読み手にしています。書くと言うことは、考えることであり、書き手の『私』と読み手の『私』が支え合い、高め合う作業だと言えます。

 

▼書き手の『私』と読み手の『私』が支え合い、高め合うところには、目標や願いや自制心が生まれます。したがって、書くことは結果として自分にとって、越えなければならないハードルを越えていくことになるのです。『私』にとって『もうひとりの私』がハードルとなり、『もうひとりの私』にとって『私』がハードルになる。つまり、生きるということは、『私』が『私』を越えていくことなのです。そのことを私は、「つくり、つくりかえ、つくる」と言っています。もしも、『自己物語』がそういう連続で、あなたから語られるならば、どんなにすばらしいことでしょう。どんなに小さな歩みであっても構わないから、越えていきたいのです。『自己物語』のページを自分で閉じてはいけません。

 

▼私は、心底、あなたに伝えたいメッセージがあったのですが、空回りして書けないでいます。それで、このブログを半分書いただけでしばらく放置していました。その間、私は以前から気になっていた『twitter』の世界を覗いてみることにしました。それは、私も『つぶやき』に参加するということです。ここは裏サイトのような闇とは違って、ポジティブな『つぶやき』と『励まし』に溢れていました。そうでなければ、意味がないでしょう。私は学長ブログ27「負のスパイラルから抜け出す方法」について呟き、ブログデータを添付しました。http://www.t-fukushi.urayama.ac.jp/information/2010/06/27-1.htmlすると、ある方から次のようなフォローがありました。(承諾を得て書いています。)

①『負のスパイラルから抜け出す方法』参考にさせていただきたいと思います。私の大事な人が今、まさに負のスパイラルから抜け出したくて、もがいています。私は話を聞くことくらいしか出来ませんが、いつか彼が抜け出せるよう、見守っていきたいと思います。

②ありがとうございます。それだけでいいんですよね。自分のペースを保ちつつやっていきたいと思っています。また、リプライかダイレクトメールでお話させてください。あと、ちょっと、『臨床美術』のHPも覗かせていただきました。私には興味深かったです。

③あたしは、たぶん、ほんとのあたしを知らない知人にこれを見られたら、えー!こんな人だったの?と言われそうです。(笑)では、また。おやすみなさい。

 

▼彼女の『つぶやき』の間には、私の『つぶやき』が存在します。しかし、彼女は自分なりの答えをちゃんと持っていて、「それでいいんだよ」と私が同意するのを待っている。彼女の中の『もう一人の私』は、他者の『つぶやき』の応援を受けて、悩んでいる自分を乗り越えてしまう。「他者」はそんなふうに、前に進もうとしている私たちの背中を押してくれるのです。『twitter』のフォローにもささやかながら、そんな力があるのかも知れません。

(私は、『twitter』見聞のための仮入部員ですが、しばらくは呟いてみようと思っています。ほとんど昼間は沈黙ですが。軽~い呟きは「心の休息」ですね。それは、私たちの間に流れる時間の彩りです。)

 

 

 

 

 

社会福祉学科の2年生を対象とし、外部講師による特別講義が行われました。(社会福祉専攻は実習中の為、介護福祉専攻の学生のみの受講)

 

■実施日:平成22617日(木)

■授業名:「キャリアデザインⅡ」

■講師名:株式会社 富山グラウジーズ吉村隆宏 氏

■目 的:

バスケットボールプロリーグ<富山グラウジーズ>にて活躍中の吉村 隆宏氏をお迎えし、吉村氏が実際に「どのように時間を有効に使い、どのように目標設定し、今実際にどうしているか」を講話いただくことで、自己の目標設定(自分の人生をどうデザインしていけばよいか)の考え方を学ぶ。

 

P1100115.JPG P1100121.JPG【授業の様子】

吉村氏は、バスケットボールを始めたきっかけから高校時代なかなか勝てずに悔しい思いをしたこと、大学で挫折をあじわったこと、富山県が好きで富山に戻り会社に就職したが、周囲に反対されながらも「プロになって絶対にこのコートに立ちたい」という強い決意を持ち一直線にがんばってきた結果が現在プロとしての活躍につながっている。と経験談を分かりやすく話してくださり「ひとつひとつのことを真剣に取り組まないと結果はついてこない」「初心を忘れず常に向上心を持ち続ける」ことが大切だと教えてくださいました。

 

実際にプロとして活躍している方から直接話しを聞くことができ、学生たちは興味深く真剣に講義を聞いていました。

学生からの質疑応答では、「今後の目標は?」などの質問があり、「3年後、この仕事を続けてバスケットに関わる仕事をしていきたい。トレーニングの勉強もし、トレーニングとバスケットを全国に広めたい」と語ってくださいました。学生たちは、今後の目標設定をより明確にしていく上でとても有意義な時間となりました。

616日(水)に高岡向陵高校の3年生44名が、学校見学に来校されました。

 

「進学希望生徒の進路選択の一助に」としての来校で、3号館・4号館・5号館の実習室を中心にキャンパス見学をしていただきました。その後進路の現状や奨学資金、大学・短大・専門学校について」の説明をさせていただきました。高岡向陵高校のみなさんは、時折メモを取りながら真剣な面持ちで聞いていらっしゃいました。

今回の見学を今後の進路の選択に役立てていただきたいと思います。

 

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富山福祉短期大学では、今後毎回違った企画でのオープンキャンパスも企画しています。

是非オープンキャンパスへも参加してみて実際に希望分野の授業を体験してみてください。お待ちしています!!

 

7月以降は「オープンキャンパス」を実施します。是非ご参加ください。

詳細→ http://www.t-fukushi.urayama.ac.jp/information/2010/03/22-1.html

 

 

学校法人浦山学園では、同じ小杉キャンパス内に「富山福祉短期大学」と「富山情報ビジネス専門学校」があります。複数学科を持つ県内最大の専門学校と福祉・看護・教育の総合短期大学が一度に見学できます。

▼学長ブログ26で、リフレーミングとは「ものは考えよう」といった意味ですと書きました。また、リフレーミングするためには、『もう一人の私』という相談相手が心の中に必要であることも書きました。そして、私たちの「脳」は、そのような自己内対話を可能にする神経回路のメカニズムをもっています。「心」の問題に「脳」の視点を持ち込むのは唐突ですが、「負のスパイラルから抜け出す方法」を考える上では、「脳」の問題として捉えた方が、対処の仕方もあると思ったのです。

 

▼リフレーミングしても、リフレーミングしても、マイナスの感情に終始することが誰にでもあります。その時に「ものは考えようだよ!」と言われても、マイナス感情でしか考えられない自分を責めてしまうでしょう。『私』も『もう一人の私』もマイナスの感情を持って話し合うのですから、マイナス感情は増幅するばかりでどうしようもありません。脳科学者の茂木健一郎氏は、このことについて次のように述べています。

「いつまでも失敗したことばかりに目をやっていると、マイナスの感情の回路に切り替わってしまいます。脳の中で、マイナスのスイッチがパチンと入ってしまう。そうなると、なかなかその回路をプラスに切り替えることができなくなる。いつまでもグルグルとマイナスのスパイラルの中にいることになる。これを『引き込み現象』と呼んでいます。まさにプラスの発想をしようとがんばっても、マイナスの感情の渦の中に引き込まれてしまうわけです。」

「そして脳がマイナスの感情に支配されてしまえば、体にも悪影響を及ぼすことになります。体がだるくて朝起きられなくなる。仕事に出かけようとしても行けなくなる。・・・・・脳の引き込み現象とは、性格やタイプという問題ではありません。それは科学的に見ても、非常に危険な現象であるのです。」

 

▼私は、私自身がマイナスの感情を抱え込むというネガティブな思考に支配されている時、闇雲に悩むことを、あえて止めます。それは、脳の問題として捉えた茂木氏の次の指摘に納得しているからです。だから、いったん問題から逃げているように思えても自己嫌悪に陥る必要などもないのです。

「脳の神経回路というのは、使えば使うほど強化されるものです。たとえば数学者ならば、日々数学の問題を考え続けているので、数学に使う回路が強化されます。毎日文章を書いている小説家は、文章を書く回路が活発に働くようになる。そしてこのメカニズムは、同じようにネガティブな事柄まで学習してしまうのです。つまり、いつも自分のコンプレックスばかりを気にしてクヨクヨしていたら、それを脳が学習してしまう。変な言い方ですが、クヨクヨすることが得意になってしまうのです。「いつまでもクヨクヨするな」という励まし言葉がありますが、これはとても理に適ったアドバイスだと言えるでしょう。クヨクヨすることで、さらにクヨクヨが強化される。脳のシステムとはそういうものであることを、まず認識しておくことです。」

 

▼このような理由で、私は「クヨクヨ脳」を強化しそうな時には、負の感情を抑えながら、ポジティブな『もう一人の私』を立ち上げることができるまで、『私』の充電期間とします。そして、負の感情の占める割合が小さくなると、友人や同僚、家族の言葉や読んだ本の考え方に触れることで、ポジティブな『もう一人の私』が立ち上がり、「クヨクヨ状態」を乗り越えていくことができると思っています。私たちの「脳」には、そういう潜在能力があるのです。

 (参考文献:茂木健一郎,『感動する脳』,PHP文庫,2009.4.17)

▼自分にあった『自己物語』を採用すると言っても、私たちは『自己物語』の全体像を描けているわけではありません。はっきりとした目標や夢が描けていれば、そこに向かって直走る『自己物語』を生きることもできますが、そういうことが必ずしも明確でないところを私たちは地道に歩いていかなければなりません。「その都度、選択に迫られて悩みながら判断し、進む。」人生はその繰り返しですが、過去におけるあなたの選択、今、この場のあなたの選択、未来において予測されるあなたの選択などを通過点としてつなげば「線」になり、自分の歩く道の方向性(物語)は見えてきます。その都度の選択に意味のつながりを欠く時、「バラバラな私」などと形容される不安状態に陥ることにもなるのです。

 

▼さて、ここで大切なことは「選択が複数の視点から見てなされる」ということです。複数の視点から見てなされる選択が、『自己物語』の意味を深めていくことになります。「複数の視点から見る(リフレーミング)能力」について、國分康孝,『18歳からの人生デザイン』,図書文化社,2009.12.1 に次のように書かれています。

「『リフレーミング』というのは、「ものは考えよう」といったような意味です。同じことでも、違う観点から見れば違う意味があるということです。例えば、ウィスキーのボトルにウィスキーが半分入っている状態を見て、「もう半分しかないのか」というのも正しいですが、「まだ半分あるじゃないか」というのも正しいわけです。物理的な現象は一つなのに、「もう半分」というのと「まだ半分」というのでは、意味の受け取り方に差があります。そのように、一つの事象に複数の意味づけをできる人が、リフレーミングできる人と言われます。」

 

▼リフレーミングするためには、自分のなかに視点の違う『もう一人の私』を立ち上げなければなりません。「ものは考えよう」ですが、『もう一人の私』が安易にものを考える存在であれば、それに応じ、意味に深みのない自己物語がだらだらと流れ出します。人生の意味に深みをもたらすためには、「私」は『もう一人の私』と常に注意深く対話しながら、自己物語のその都度の意味を選択していかなければなりません。

 

▼つまり、『もう一人の私』とは、「私」の心に住みついている相談相手です。

あるときは母の声であり、父の声であり、

あるときは友人の声であり、先生の声であり、

あるときは、過去の「私」の声であり、未来の「私」の声であり、

あるときは、天の声であり、木立の声であり、

そして、あるときは書物の声であり、

「私」のなかの多種、多様な「他者」の声なのです。

『内なる他者』と記述する心理学者もいます。

 

 

▼「学長ブログ7『本当の自分』づくり」で、榎本博明氏の著書『社会人のための「本当の自分づくり」』を紹介しました。この本は、本学で開講している「つくりかえ問題解決技法」の課題図書に指定しましたので、学生全員が手元に用意する必要があります。ところが4月には書店でもネット販売でも購入できたのですが、現在では「品切れ」となってしまって、手に入れられなくなってしまったという相談がありました。「困ったな」と思いつつ、「やっぱりな!」とも思っています。この本に書かれていることが、この社会状況を生きていく上で必要とされているのだと思います。あなたにも読んで欲しいと薦めましたので、しばらく読めない人のために、今回のブログを書いています。

 

▼あなたは幼い頃を思い出すと、どんな場面をどんな思いで想起するでしょうか。きっといろいろな思いが込み上げてくることでしょう。以下に、私が以前に担任した小学1年生の生活場面を写したスナップ写真4枚を載せますので見て下さい。

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▼物語が出来上がっている四コマ漫画でさえ、その一コマだけを見ても何のことだか分からないのが普通です。まして、スナップ写真が羅列されて、一つ一つに意味付けをし、その意味をつないでいくことは難しいことでもありますが、現実を当事者として力強く生きるためには必要なことなのだと思います。スナップ写真は、私にとっては次のように並んでいます。(※写真①~④に対応しています。)

①まさと君という、車椅子で生活する子が、このクラスにはいます。手も不自由なので給食の用意は、友だちがみんなで協力します。

②休み時間は中庭に出て遊びます。友だちがチャボをまさと君のところに運んでくるので、まさと君はチャボとも遊ぶことができます。

③シャボン玉をつくって遊んだ時も、ジャングルジムよりも高く飛ばすことができました。

④春を探しに、みんなで野原に出かけました。みんなは、大喜びで走り回りました。先生は、まさと君がレンゲ草を摘めるように、まさと君を車椅子から降ろしました。でも、まさと君は淋しそうです。

 

▼このクラスの子どもたちは、まさと君に関わる自己物語を 、まさと君にとっても意味があると思われる行動によってつくり出していきます。そして、その意味の流れは、有意味だと感じる保護者からも支持され、学級の物語(社会)として共有されていくのです。榎本博明氏は、このことに関わることとして、次のように「社会人のための『本当の自分づくり』」のなかで記述しています。

「人生とは出来事の単なる羅列ではありません。人生というからには、過去から現在に至る、さらには未来へと続く有意味な流れがなくてはなりません。私たちの日々の行動は、採用している自己物語に基づく過去の解釈と未来の予測によって構造化されているのです。私たちは、先立つ出来事や後に続くと予想される出来事に照らして意味があると思われる行動をとっているのです。このように、私たちが現実生活を生きるということは、採用している自己物語の文脈に沿って現実を解釈しつつ行動をとることをさします。現実社会を力強く生きるということは、自分の生きる現実に意味を与えてくれるような自己物語を採用することだと言ってよいでしょう。」(p.80)

 

▼このクラスの子どもたちは、まさと君に対して実行に移せる行動を積み重ねながら、それを意識的に行い、習慣化していきました。まさに、「つくり、つくりかえ、つくる」の連続の日々だったと思います。1998年、長野でパラリンピックが開催された時、このクラスの子どもたちは、まさと君を中心に聖火リレーチームを結成し、長野の街を走りました。子どもたちは、その時には6年生になっていました。

私たちの人生には、すでに生きられた「自己物語」が組み込まれています。よいことばかりではありませんが、積極的に「自己物語」のかけらを組み合わせて、自分の未来を描く姿勢は大切にしなければなりません。好ましくないと思う「自己物語」も解釈を変えることで、あなたが生きている現実をかえ、未来を変える切っ掛けになるのです。

 

 

 

 

 

▼以前、「つくり、つくりかえ、つくる」という件名のメールを富山福祉短期大学の中で配信していました。そのメールの印象もあって、企画推進課の皆さんが学長ブログを立ち上げてくれたと思っています。

 

▼ちょうど、2年前の7月頃のメールを読み返して今の学長ブログに近い内容だなと感じました。7月のオープンキャンパスの『学長のあいさつ』で、何を伝えようかと考えて書いているものです。今、あなたに何かを伝えようとブログを更新している気持ちは、この頃から始まっていたようです。オープンキャンパスでは、一編の詩を紹介しています。

 

▼『明日、また、きっと。』  二瓶 弘行

今日、私は笑った。

針がコチコチ動く時計がよめた。

漢字で「遊ぶ」と書けた。

鉄棒でダンゴ虫が五秒できた。

アサガオに水をじょうろであげられた。

大嫌いな給食の牛乳を一口だけ飲めた。

赤いゴム風船をいっぱいにふくらませた。

 

サッチンに自分から先に「ごめんね」と言ったら、

サッチンも笑って「ごめんね」と言った。

今日、私は笑った。

 

今日、私は泣いた。

ヤゴの「チビ」が空を飛ばずに死んじゃった。  (※ヤゴ=トンボの幼虫)

リコーダーの高いドの音がどうしても出ない。

二重回しが五回目になると、いつも足がじゃまする。

隣の席のアッ君のように、きれいな鶴が折れない。

たった三行だけしか書けないでチャイムが鳴った。

「遊ぼ。」と言えなくて、今日の昼休みは一人ぼっち。

 

学校の帰り道、「私は弱虫かなぁ。」と思ったら、

急に悲しくなって、目から涙が少しこぼれた。

今日、私は泣いた。

 

今日、私は不思議に思った。

宇宙の果ては無限の闇?それとも無限の光野?

人は何故、憎しみ合い闘うのか。同じ人間同士なのに何故。

ゼロって何?すべての始まりなのか、すべての終わりなのか。

鶏肉を食べ残す私と、一切れのパンがなくて命尽きるあの子。

たった一つの言葉が人を救い、たった一つの言葉が人を打ちのめす。

大人と子ども。境界線を引くのは一体、誰。

 

どうして仲間の笑顔は、あんなにも輝いているんだろう。

私の笑顔をも、仲間達には輝いて見えるんだろうか。

今日、私は不思議に思った。

 

今日、私は笑った。

今日、私は泣いた。

今日、私は不思議に思った。

 

明日、また、たくさん笑って、泣いて、不思議に思うだろう。

明日、また、大好きな学校で、大好きな仲間達と。

明日、また、きっと。

(二瓶弘行 編,『いまを生きるあなたへ 贈る詩50』,東洋館出版社,2007.8.6)

 

▼オープンキャンパス当日に、この詩を朗読しました。そして、こういう気持ちを抱き続けている人に、『福短』に来て欲しいと話しました。もしも、忘れているのなら、やっぱり、『福短』に来てガラス棒で心をかき混ぜ「つくり、つくりかえ、つくる」を実践しないといけませんね。

今も、そう、思っています。

 

 

▼水を入れたビーカーの底に固まってしまった粉が沈んでいるように、私たちの意識(心)の底には、意識できなくなった記憶の断片が沈んでいる。その辺りを「深層意識」と言いますが・・・と前回のブログで私の「意識」の構造に対するイメージを形容しました。しかし、実際の「意識」にはビーカーのような底はない。意識の深みは、意識できない「無意識」の領域となって広がっています。井筒俊彦は、その著書『意識と本質』(1992)の中で、この意識の深みの終極するところを「意識のゼロ・ポイント」とし、「心のあらゆる動きの終極するところ」であるとしています。

 

▼「心のあらゆる動きの終極するところ」は、心のあらゆる動きが創発するところとも言えます。そのような意識の深みが、固まった粉のようなもので覆われてしまっていたら、私たちの意識(心)は痩せていくしかありません。だから、やはり、ガラス棒でビーカーの底の沈殿物を溶かすようにかき回すことが必要だと思います。次に紹介する『世界は一冊の本』(長田弘詩集,みすず書房,2010.5.20)の詩の一節も、「深層意識」への通路となる五感を働かせることを促しているようです。

 

▼『世界は一冊の本』

本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけが本ではない。

日の光り、星の輝き、鳥の声、

川の音だって、本なのだ。

ブナの林の静けさも、

ハナミズキの白い花々も、

おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

本でないものはない。

世界というものは開かれた本で、

その本は見えない言葉で書かれている。

(略)

2000億光年のなかの小さな星。

どんなことでもない。生きるとは、

考えることができるということだ。

 

▼確かに『世界は一冊の本』だと思う。あなたが意識したことが、あなたの内的な『世界(心)』に記されていくのです。詩人は、巧みに『世界』を言葉に置き換え、私たちに『世界』を開示してくれます。だから、詩を読むことも、豊かな『世界』と出会う方法となるのです。

 

(私は今、学長ブログを、できるだけ早く30号に届くようにと思って書いています。ここにその思いを明かすのは、私『宣言』です。目標を口にすることで目標を確実に達成していくということもナラティヴ・アプローチだと思っています。なぜ、とりあえず30号まで早く書き上げたいかというと、簡易な小冊子にして、あなたに差し上げたいからです。ブログ1~30号には何かしらの連続性があり、その連続性を大切にすることがナラティヴ・アプローチにつながることを感じ取ってほしいのです。そして、それも、「つくり、つくりかえ、つくる」の意味です。もし、あなたが高校生ならオープンキャンパスで差し上げます。)

kitazawa579@aol.com

 

社会福祉学科 社会福祉専攻の1年生を対象とし、外部講師による特別講義が行われました。

 

■実施日:平成2267日(月)

■授業名:「相談援助実習指導Ⅰ」

■講師名:竹内育美 氏

■目 的:

現場で実際に働いている職員の話を聞くことで、実習に必要な知識や心構えを理解する。

 

 

【授業の様子】

お招きしたのは、卒業生の竹内育美さん(社会福祉士)。

本学を卒業後、富山市の知的障害者援護施設「野積園」で生活支援員として働いていらっしゃいます。

最初に施設の概要や生活支援員の仕事について講義されたあと、自分が学生だった頃の視点と今の職員としての視点を羅列しながら実習に必要な心構えなどを丁寧にお話しくださいました。

また、福祉を志したきっかけや就職活動、社会福祉士国家試験などの苦労話も話され、聞いている学生たちは興味津々でした。

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本学では卒業生を対象とした社会福祉士国家試験対策講座「UKA-RO」というプログラムが実施されております。昨年度は15名の卒業生が受講しました。

 

▼学長ブログを読んでの感想などを kitazawa579@aol.com に寄せて下さいとご案内しています。このメールアドレスは仕事用とは別にブログの感想を送ってもらうためにつくりました。

このメールアドレスに、最近一通のメールが届きました。中学校時代の同級生からでした。そして、メールの内容は同級会開催の案内なのでした。私は長野県の出身ですが、中学生の頃に住んでいた家は手放されてもう誰が住んでいるかも分からない状況ですし、私自身、転々と引っ越しを繰り返して来ましたので、同級会開催を私に知らせる方法は同級生にはなかったはずでした。同級生は、私をこのホームページで見つけメールをくれたのです。そのようなわけで、同級会開催は半年近く前に案内されていたようですが、行方知れずになっている私が知ったのは同級会を実施する直前のこととなりました。

 

▼いろいろと仕事の都合もあり、普通に往復ハガキで案内をもらったならば、出席を断念したと思います。けれども、何とかして出席しようと思いました。それは、このブログの意味にも関わる積極的なナラティヴ・アプローチ(自己物語化)になると思ったのです。

会場では30年ぶりの再会であり、始めは顔を見ても名前を聞いても、記憶が断片的にしか甦ってこない自分を残念に思っていましたが、一人ひとり近況を報告し合っているうちに、パズルが次々とはまっていくように中学時代を取り戻すことが出来ました。同級会の会場が中学時代の教室にタイムスリップしたような錯覚さえ覚えました。実は30年ぶりの再会に抵抗のあった方がほとんどでしたが、中学生の頃に言いそびれたままの「ありがとう」や「ごめんね」を懐に持って集まってきたことが分かりました。

 

▼私は、同級会を終えて家に帰り眠ったとき、本当に久しぶりに「夢」を見ました。最近、睡眠中に「夢」を見ることも少なくなったと感じていたのですが、中学2年生の時の教室で、クラスで一番体格のよい友人とクラス中を巻き込んだ取っ組み合いの大喧嘩をしている「夢」を見ました。この出来事は中学時代に実際にあったことで、同級会の席でも話題に上りました。

この夢から覚めた時、中学時代の記憶が鮮明に思い出され、クラスメイトの名前と顔も次々と想起できる自分を取り戻していることには本当にびっくりしました。同級会が始まる時、「この人、誰だっけ?」と思ったこと自体が不思議なほど、いろいろな場面を思い出せるのでした。

水を入れたビーカーの底に固まってしまった粉が沈んでいるように、私たちの意識(心)の底には、意識できなくなった記憶の断片が沈んでいるのだと改めて思いました。その辺りを「深層意識」と言いますが、同級会でいろいろなことを語り合っているうちに、記憶の断片は深層意識から意識できるところ(表層意識)に溶け出してきたということなのだろうかと私は思いました。そして、その夜、眠っている間に「夢」を見ながら、固まった記憶は更に溶けていったのでしょうか。30年がかりの「自己意識」の大実験をしたような気分です。

 

▼私たちの「自己意識」は「過去」と「未来」を行きつ戻りつしています。「過去」の意識が固まるということは「未来」を志向する意識も固まるということではないかと思います。私たちは、柔軟性をなくして固定化していく「意識」や枯渇していく「五感(身体性)」を活性化し、生き生きとした感覚を呼び戻すために、自分の「意識(心)」というビーカーにガラス棒を入れてかき混ぜることが、ときどき必要なようです。思い切って同級会に出席してよかったと思っています。

平成2265日(金)新潟県立高田商業高等学校PTAの皆様と先生方が本学へ見学に来校されました。

 

今回は、同じ学校法人浦山学園 富山情報ビジネス専門学校と本学の両方を見学いただきました。本学では、校舎を見学していただいた後、「本学の概要」「入学選考」「大学・短大・専門学校の違い」などの説明をさせていただきました。

説明会では、みなさん熱心にメモをとりながら話を聞いていただきました。

【参加者からの感想を一部紹介】

     施設等がとても充実していて環境がとても良いと思いました。

     教育の本質についてお話していただきとても勉強になりました。

 

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本学では、随時高校からの見学会やPTAの方々の来訪をお待ちしております。是非、一度お越しください。お待ちしております。

平成2265日(土)本学後援会の平成22年度総会が開催されました。

 

総会では、本学の取り組みや後援会の事業、会計報告、役員選出などが行われました。また、総会後は、各学科・専攻に分かれ保護者懇談会が行われ、各学科・専攻での取り組みや学生たちの様子などについて話がされました。

本学がどのように日々の教育や大学運営を行っているかは、実際に本学へお越しいただくのが一番分かると思います。

是非このような機会にお越しいただき、先生方ともお話いただければと思います。

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龍谷富山高等学校にて、ボランティア活動をテーマにした講習会が行われ、本学の社会福祉学科介護福祉専攻宮嶋講師が出張講義を行いました。

 

     講義期間:平成22531日(月)から64日(金)

     対  象:1年生8クラス

     テーマ :「ボランティア学習」~ボランティアとは何か、ボランティア活動のこころがまえ~

 

P1100038.JPG P1100045.JPG龍谷富山高等学校の皆さんは、在学中に2回ボランティアの体験をすることになっています。講義では、○×クイズなども取り入れ、ボランティアをする際の心構えについての知識を深めました。高校生のみなさんは、小学校時代の自らの経験などを発表し合う場面もみられました。

この講義を通して、ボランティアの意義や取り組む際の心構えを学んでいただけたと思います。

(平成22年度後援会総会を終えて)

▼「総会」というのは、どこか形式的ですが、今日の後援会総会の質疑の場面で、何度か質問をしてくださる方がいました。たとえば、「地域に貢献する短大になっていきたい」という私の挨拶の中での言葉を肯定的に受け止めて下さり、そのことは決算書のどの項目に反映されているかということを確認されました。その質問のおかげで、私たちが進もうとしている方向に陽が差したように思います。そして、その質問によって決算書だけでなく、多くの方の予算書の見方も変わったかもしれません。ものごとに対しての『誠実』な行動が、時間に意味という「彩り」を添えていくのだと思います。

 

▼もう一つうれしいことがありました。社会福祉学科介護福祉専攻の学生のお母さんから色紙を頂きました。

IMG_0085.JPG▼私は頂いた色紙の文字を見て、「何で、私も頂けるのですか? 」と言葉になりかけていた質問をそっと引っ込めました。『感謝』という言葉を大事に持って生きておられる方なのです。そして、その気持ちを分けて頂いた気がしました。そういう方に、「学長には、この言葉だと思いました」と言って頂いたことがうれしく、大事にしたいと思っています。『感謝』という心性は、人と人のあいだに、いつもそっと彩りを添えます。

 

▼『誠実』とか『感謝』とかの心根に触れることができ、味気ない私の時間の淀みを流していただいた気がします。今日は、お忙しいなかを、ありがとうございました。

 

 

(平成22年度後援会総会資料)

▼過日実施した大学説明会に学生スタッフとして参加してくれた男子学生に、「学長、ブログ読んでますよ!」と声をかけられました。「え?本当なの?」と思わず答えてしまった後、「読んでくれていると思うと私も頑張れるよ。」と付け加えました。本当に、そう思いました。

 

▼その男子学生は、その後、次のように話を続けました。

「親が読んでいるのです。僕よりも先に読んでいて『いいこと書いてあったよ』って言うんです。」

ささやかなブログに大変な味方がいたものだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。今週末は、父母の皆さんが集まる後援会総会があります。集まっていただいた皆さんにお話することを考えながら、このブログを書いています。

 

▼「何かのお役に立つか分かりませんがお受け取り下さい。」とのメッセージを添えて、『園長先生の子育て講座』(小鳩保育園理事長 関定夫著,日本プランニングシステム,2009.11.2)という本を頂きました。今回のブログのタイトルにしたように「ピッタリとした靴を履かせる」という見出しのページには次のように書かれています。

 子供はすぐ大きくなるので、ピッタリした靴ではなく、少し大きめの靴を買う親を多く見かけます。そうした傾向は最近とくに顕著になってきているようです。

 気持ちはわからないわけではありませんが、そうしたことの弊害が後々出てきます。若者と呼ばれる年頃になっても大きい靴をぱたぱたさせて歩いている光景をしばしば見かけますが、それも一つの後遺症のように思われます。 

 (略)

 靴も衣服も、ただ履いたり着たりするのが目的ではありません。子供のときから正しい動きや動作を身につけ、楽しく運動するには、履きやすい、動きやすい靴や衣類が必要です。そのことを一番に考えてほしいのです。

 

▼さて、私も行楽地、スーパー、コンビニ、いろいろな場所で親子連れを見かけますが、最近は「大きめの靴」を通り越してサンダルのような履物に変化してきているようにも感じます。些細なことですが、立ち止まって考えてみる必要があるかも知れません。

学科、専攻別の懇談では些細なことでも話題にしていただき、ちょっと立ち止まって「日常」を考える時間になれば幸いです。

 

看護学科の2年生を対象とし、外部講師による特別講義が行われました。

 

■実施日:平成2262日(水)

■授業名:「人権論」

■講師名:「グループ女綱(なずな)~ストップDVとやま~」代表 草野洋子

■講義名:『デートDVを知っていますか?~私たち一人一人にできることを考えるために~』

目 的:「デートDV(結婚していない恋人間で起きるDV)」について理解し、防止するためにできることを考えること。

 

講義ではデートDVについての説明を受けた後、ロールプレイによってデートDVの具体例と危険性を体験し、グループワークでそれぞれ感じたことや題材となった恋人たちの今後などを話し合いました。第三者に相談することの難しさ、相談を受ける人の対応の大切さについて理解を深めました。

 

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学生たちは、DV被害の原因は社会の風潮や本人の思い込みも背景にあることを理解し、一歩踏み込んだ理解ができたようでした。DVが犯罪・人権侵害であり、相手を深く傷つけるものであることを理解し、今後看護師として役立たせていってほしいと思います。

 

 

     身近に起こっているデートDVの経験者は女性4.4%、男性0.8%と言われ、100人に45人が経験しているという調査結果があります。看護師はDVを隠しながら診察に来る患者の第一発見者になる可能性があります。

(『宗太郎君の物語①~⑤』(学長ブログ15~19)をつないで読んでください。)

▼宗太郎君をなくした優子さんは、「ありがとう」を受け止め、宗太郎君のいないこれからの人生(自己物語)を歩んでいこうとしています。「それ(「ありがとう」)を受け止め、彼の人生を伝えていくのが私の役目ではないかと思います」と優子さんは書いています。私は、『ママ、ありがとう』と題されたこの本を紹介するために、繰り返し読んだり、抜き書きしたりしているうちに、本当は、宗太郎君の「ありがとう」の意味は、優子さんの説明とは少し違うだろうと思っています。優子さんも分かっていると思いますが、この物語の主人公でもある優子さんには書けないので、私が代わりに書きたいと思います。

 

▼宗太郎君が「ありがとう」の言葉を、たくさんの人から受け取った場面が本の中に書かれています。多臓器移植のことを知らせる記者会見の後、宗太郎君のところには、たくさんの手紙が届き、ほとんどの手紙に「ありがとう」の言葉が添えられていたのです。宗太郎君は「ありがとう」の意味世界を次のような優子さんとの言葉のやり取りの中で受け取ったのです。

「どうしてみんな宗太郎にありがとうって言ってくれるのかな?ありがとうと言うのは、宗太郎の方なのに」不思議そうな感じで訊いてきました。

「その人たちは宗太郎のことを知ってうれしかったり、励まされたりしたんだよ。知らない人でもありがとうと言ってもらえるとうれしいでしょう」

「うれしい」

「うれしかったら、ありがとうを返そうね」

(この時、「ありがとう」という言葉の意味は、宗太郎君にとって、言われると一番うれしい言葉、世界で一番、人を励ます言葉となったのだと思います。)

優子さんは、宗太郎君の最後の言葉「ありがとう」について、次のように書いています。

 

▼人工呼吸器をつなげなくてはならないほど体内に酸素が低下して、とても苦しいはずなのに「ママ、ありがとう、ありがとう」と私を気づかう宗太郎を見て、たまらなくなりました。

9月4日、薄く目を覚ますと、一生懸命唇を動かして何かを訴えます。じっと見つめると「抱っこ」だと分かりました。「抱っこしてほしいの?」大きくうなずきました。でも、身体じゅう、何本もの管がつけられているので、普通の抱っこはできません。「こめんね、宗ちゃん。上からの抱っこでがまんしてね」上からそっと身体を包みました。「管が抜けたら、いっぱい抱っこしてあげるね」

口パクの抱っこが、最後のコミュニケーションになりました。

 

▼宗太郎君の最後の「ありがとう」は自分に対して向けられた言葉だとは、本の中で優子さんには書けなかったのでしょう。けれども、宗太郎君は、人からもらって一番うれしい言葉を選び、「ありがとう」を世界で一番大好きなママに言いたかったのです。そして、本当はママに抱っこしてもらう腕の中で、ママを励ますために、「ママ、ありがとう」と言いたかっただろうと思います。

 

 

 

 

 

 

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